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スポーツの目的は「勝つ」ことだけど。

こんにちは!藤倉です。

先日、河森さんの著書「競技力向上のためのウエイトトレーニングの考え方」

を読んでいて、その中に、

競技スポーツの究極の目標は「勝つ」こと

競技力向上のためのウエイトトレーニングの考え方

ということが書いてありました。その文は次のように続きます。

アスリートがウェイトトレーニングを実施する根本的な理由も、その究極の目標を達成するため、すなわち「勝つ」ためであるべき

競技力向上のためのウエイトトレーニングの考え方

この文章を読んだときにちょっと違和感を感じてしまいました。

河森さんの文章に違和感を感じたのではありません。このとき僕が感じたことに違和感を感じたのです。ややこしいですね笑

河森さんのおっしゃる、「競技スポーツの命題は勝つこと」ということに関しては何の異論もありません。競技は全て勝敗がつけられ、その選手全員が勝つために日々練習に取り組んでいるのは間違いありません。

ただ、僕はそんな当たり前のことを改めて文章としてみたときに、「そう言われりゃそうだったな」と何か新しい価値観に触れたかのように感じてしまったのです。

今までもたくさんのスポーツに関わる人たちのトレーニングを見てきました。彼らはみんな試合に勝ちたい、いい成績を納めたい、という目標の元僕のところにトレーニングをしに来てくれていました。僕もその思いに答えてきたつもりです。

しかしどういうわけか、先ほどの文章を読んだときに気づかされるような気持ちになってしまったのです。そしてこれに対して、僕は違和感を感じてしまったのです。

そこで僕はちょっと自分の過去を振り返って違和感の理由を考えてみることにしました。

違和感を感じたわけ

僕は自分でもずっとスポーツをやってきました。小学生の頃は訳もわからずボールを蹴っていましたが、高校生の頃はかなり真剣に取り組んでいました。それこそ起きている間は競技のことをずっと考えていて、寝ている間も夢の中で戦っているような状態でした。

では、そのとき僕は「試合に勝つ」ということを考えて練習やトレーニングに取り組んでいたかというと正直そうでもありませんでした。

どちらかというと、「毎日常に強くなり続ける」だとか、「尊敬する先輩のようになりたい」という感情が強く、「今度の試合絶対優勝するんだ」ということはあまりというか全く考えていませんでした。

これが僕が先ほど感じた違和感の正体でした。「勝つ」と言うのは僕にとって優先順位の一番目ではなかったのです。

ただ、それで練習が適当だったかというと全然そんなことはなかったはずです。真剣に強くなる方法を常に模索して練習もぐったりするほど自主的にやっていました。正直その辺の部活生よりは自主性を持って練習してたはずです。

「勝つ」ことを目的に取り組むのか、「勝つ」ことは気にせずとも懸命に取り組むのか。

どちらがいいのかはその人の目標や生活、立場によっても変わってきます。

プロスポーツ選手や、オリンピックを目指すような選手は勝たないとお金がもらえなかったり、オリンピックへの切符は手に入りません。だから、試合に「勝つ」ことによってこだわる必要はあります。それによって、試合から逆算してコンディションを整えたり、相手チーム・選手のプレースタイルなどを研究したりといったことにも取り組むことができるからです。

正直、練習計画を立てたり、トレーニンの期分けをするなら目標とする試合があってその日に向けて計画を立てた方が漫然と毎日強くなるために練習する、と言うよりは効率がいいです。

ですが、僕のように「勝つ」ことは意識せずに、でも上手になる、強くなる、ということを念頭に練習するのは、立場的に勝つことを他者から要求されてなければいいかなと思います。

僕のところに来てくれている人たちは主に趣味でスポーツをやっている人たちです。(趣味と言うにはいささかハードに練習している人ばかりですが笑)彼らも試合で勝ちたいと当然思っていますが、より期間のシビアなプロアスリートやオリンピアンに比べると時間に余裕はあります。

「勝つ」ことは大事なことですが、試合のことだけを考えるのではなく、1日1日のスポーツに楽しみを見出すのもいいことかなと思います。

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